「大陸に抱かれて」

大陸に抱かれて

よしき
 リマの空港に到着したのは真夜中、予想はしたが手の打ちようはない。高級ホテルの予約客達はそのまま入国手続きをすませると、送迎バスで消えていった。シャワーと温かいベッドが待っているわけだ。ロビーにひとり残された若い旅行者は途方にくれた。インフォメーションも閉まっている。東京を発ったのは夜の9時。さっきロスアンゼルスで青空を見たと思ったらこのざまだ。日付もどうなったかわからない。
『何しに来たんだろう』、自問してもはじまらない。
「旅行目的は?」
「観光・・・」
「ペルーに滞在予定は?」
「約三ケ月」
「日本の学生?」
「そうだ」
「よい旅を」
「ありがとう」
便利な答えだ。入国管理官との事務的手続きを終えてもう一度自問した。「何のために?」リュックを枕に眠ろうとしたけど眠れない。タバコに火をつけた。最後の日本のタバコが空になって朝がきた。とりあえず、ドルをペルーのソルに両替して表に出た。唯一の頼りはこの安いペンションの住所だ。タクシー乗り場で待っていると、錆だらけの古いフォードがやって来た。住所を見せると運転手は陽気な返事をして、猛スピードでリマの中心街に向かった。何かと話しかけてくるが、スペイン語なんかわからない。こちらの力タコト英語は通じない。お手上げだ。彼は人なつこく笑いながら街中を案内している様子だが、運転はとんでもない。道路をジグザグに走り、信号を無視し、辻々で急夕一ンをしてやっとペンションの前につけた。言われるままに料金を払ったが、案の定、倍はぼられていた。タクシーはメーターがあっても作動させない。乗る前に行き先を告げて、値の交渉をするのだ。
「~までいくら?」
「50ソル。」
「高い!」
「じゃ25だ。」
「20でどうだ。」
「23にしとく。」
「0K!」
こういうやりとりを覚えるのにしばらくかかる。あの運転手は充分サービスをして正当な料金を要求したのだと思うことにした。
 こうして南米の旅はペルーから始まった。先ずはリマの街を歩くことからだ。カスティリアーノ(スペイン語)は厄介だ。焦らずやることにする。リマのペンションは家族で営まれている。セニョーラとふたりのセニョリータ。姉妹は英語ができる。こちらと同様、たどたどしいが一応助かる。若い旅行者が入れ替わりやって来る。そして惰瀬を交換しあう。北へ向かう者、南へ下る者とが、危ないところ、安いホテル、乗り物やルートの確認をメモして旅に出る。彼らの口コミでのネットワークが、南米の安ホテルを結んでできているようだ。二週間ほどペンションにいると力タコトながら買い物したり、バスに乗ったりが身振りを交えてできるようになって来る。日系3世のレストランの娘や天野博物館の天野氏の孫と知り会えて、リマでの行動範囲が拡がった。招かれて博物館に行くと、インカ文明の遺産がある。彼が解説してくれる。髪の毛ほどの細い糸を通した石のビーズの首飾り、この穴はどうして開けたのだろう。文字は残されていないが、縄の結び目で数字を表している。二進法もあったらしい。地方により様式は違うが、素朴な絵や文様が描かれた土器、人や動物の顔を形どった酒器。猿と蟹が戦っている絵柄の壼があった。「猿・蟹合戦」だ。彼の解説は続く。モンゴロイドはアジアからベ一リング海峡を渡り、アラスカでエスキモー(イヌイット)となり、北米でインディアンとして追害され、中南米までやって来たものが先住民としてアスティカ・マヤ・インカ文明を築いた。滅ぼしたのはスペインからの侵略者だ。そしてインカの末裔であるインディオはアンデスの高地で厳しい自然と向き合いひっそりと暮らしている。蒙古斑なら彼らの赤ん坊にも出る。彼らのところに行きたくなった。その前にチリとアルゼンチンを回る。そしてボリビアから再びペルーに戻る。そういうルートに決めた。地図を買った。南米だけのでかいやつだ。これは手放せない。そのままバスのチケットを買いに行った。タ一ミナルの窓口で、その地図を広げ、チリとの国境の町タクナを指差した。「ここへ行きたい」もう弾みを付けて行くしかない。そしてチリに入ればいい。
  左にアンデスが見えて、それがチリのサンチャゴまで気の遠くなるまで続いた。太平洋に夕陽が沈むとアンデスから陽が昇る。いつまでたっても砂漠とアンデス、太陽と月。同じ景色だ。突き抜ける単調なパンアメリカン・ハイウェイ。この大陸の大きさがやっとわかり始めた。チリでは、バルパライソという小さな港町で保養中の技術者達と仲良くなった。ふいにアジェンデ時代の話を聞こうと名前を口にしたとたん、彼らの顔が険しくなった。「その話は御法度だ」全てが了解できた。爪を研いでいる奴らはどこにでもいるというわけだ。アジェンデ大統領はピノチェト軍のクーデターで凶弾に倒れていた。
 コンセプシオンという街に行った。理由なんかない。そこでフォルクローレの歌い手の家に招かれて、たっぷりと歌を聞かせてもらった。誇りを持って歌っている。「次は君だ。日本の歌を聞かせてくれ。」とギターを手渡された。誇りを持って歌える日本の歌なんかない。単に日本語の歌ということでお茶を濁した。気恥ずかしくなってホテルに帰ったらチリを出たくなった。翌朝、再びサンチアゴに向かった。アルゼンチンに入るためだ。チリはインフレで紙幣の「0」を数えるのも面倒だった。あらゆるところで軍人が幅を利かせている。国境では、若い兵士にいんぎんにパスポートと荷物を改められた。
「これは何だ。」
彼は日本茶のティーバッグを見つけた。
「ハポネステー、マテ茶みたいな味がする。」
一箱進呈すると、
「OK、バスに戻っていい。」
そうやってチリに入り、もう出て行くのだ。
 アンデスを越えてアルゼンチンのメンードーサという町に着いた。肉が旨いと聞いていたし、居心地がよさそうだ。飛び込んだホテルで「長く居るから安くしてくれ」と、イタリア系のおかみに掛け合った。昼食が付くことになった。だが、その昼食がいけなかった。パスタを苑でてあるだけの山盛りのスパゲティが出される。なるほど昼食付きだ。ところが後から肉やらピザやらセルベーサ(ビール)と一緒に出てくる。ビノ(ワイン)も勧められ、コーヒーで終わる。食後一時間は動けない。おかみの恰幅のよさが理解できた。食後は街を歩くか、映画を観た。ある日「日本沈没」がかかっていた。日本で観なかったので入ると、いしだあゆみが吹き替えで英語をしゃべっている。アメリカを回ってきたわけだ。字幕は当然スペイン語。掴みどころがない。香港のカンフー映画も大はやりだ。その中で見たこともない日本人の姿を見た。中国人のカンフーの使い手は正義の味方で格好いいが、日本人は妙なチョンマゲをしてゆかたを着ている。胸のあたりで帯を締め、粗末な刀を差している。空手を使い悪事を重ねて最後は中国人のカンフーにやられてしまう。おそらくアジアの国々でも上映されただろう。人々はヤンヤの喝菜を送ったに違いない。アジアの反日感情をこんなところで見た。一月が過ぎた。チリでの緊張はほぐれたが、ほぐれ過ぎた。夕食もいけなかった。外で食べることにしていたが、安くて旨い肉料理をふんだんに味わえる。ビノやセルベーサもいけなかった。自分が貧乏性で喰い意地が張っていることがはっきりわかった。そのつけは一月後のある朝にやってきた。ジーパンがはけない。ボタンがとまらないのは許せる。ジッパーが上がらない。おかみのことをもう笑えない。ぺルーで買ったポンチョを引っ張り出して首からスッポリかぶる。にわかインディオになって、そのままブエノスアイレスまでのバスチケットを買いに行った。旅にでも出なければジージャンまで着られなくなる。
 ブエノスは何となくよそよそしい。この国は白人系だ。一日でこの街を出た。そのまま鉄道で国境まで北上する。イグアスの滝を見るためだ。アンデスの代わりに今度はパンパの中を列車は走った。見渡す限り大草原の地平線だ。パンパの東に朝日、西に夕日だけが見えるだけ、いっさいの障害物はなく目的地に着いた。ふもとの村で泊まることにした。めし屋の男に、「宿はないか」と聞くと、
「うちへ来いよ。アルゼンチタンゴを聞かせる。」
「しめた、ホテル代がうく。」そういうケチな根性がいけなかった。男はプレーヤーにタンゴのレコードをかけたかと思うと、くねくねとすり寄って肩に手を回してきた。
そういえば、このポンチョは女性用だった。つまり、うっかり女装をしていたのだ。
「わっ、気持ち悪い。」
跳び跳ねて、とっさに空手の構えをした。
「日本人だ。空手をやるぞ。」
この一言が効いた。男もカンフー映画のファンなのか、神妙にしている。白々とバックに流れるラ・クンパルシータ・・・・。ばかばかしい夜が明ける。ともかく眠いのをがまんしてイグアスの滝まで行った。大陸がでかいと滝まででかい。

あちこちで掛かる虹と滝が心を洗っていく。 


国境を越えて、ボリビアに入った。また気の遠くなるような力ンヴィヨ(荷台に板だけを乗せただけの乗り合いトラック)の道のりだ。インディオのおかみさん達が乗っている。豚もニワトリも同乗している。ジャガイモなんかも転がっている。すっかり溶け込んでいる自分がおかしい。おかみさんは笑いながら豆のおやつをくれたりするが、聞いたことのない言葉だ。アンデスに抱かれて揺られていれば、言葉なんか要らなくなる。村はずれの宿でシャワーを浴びると体中から泥水が流れた。そうして首都ラ・パスにさしかかった時、街の明かりがすり鉢の底にあるように見えた。そこヘバスは下りて行く。安宿を探して急ぎ足で歩くと、急に頭痛がしてフラフラになった。高山病にかかったらしい。そういえば、ここは標高4000mある。


おとなしく寝た。次の日、街をゆっくりと歩いていると、インディオの少女に声をかけられた。
「日本人?」
12・3才位だ。
「お昼を食べにうちへ来て。空手を教えてほしいの。」
空手は教えられないが、昼食は捨て難い。ついて行った。母親と姉が出迎えてくれた。姉妹とも空手をしきりにせがむ。にわかに空手のインチキ師範代になった。
「体の中心線に急所が集まっている。そこを突く。こうやって、トオゥリャー!」
・・・・・良心がとがめた。
昼食後、三人で映画を見に行った。またカンフー、もう飽き飽きだ。夕食もごちそうになった上、泊めてもらった。これでは詐欺同然なので、本当のことを告白して、翌朝チカチカ湖へ発った。
 湖の途中に国境があり、越えると再びペルーだ。湖のほとりプノという所で、フリーの日本人カメラマンに出会った。そこから彼と一緒にインカの都クスコに列車で行くことになった。彼は10才年上だが、妙に気が合う。仕事で世界中を取材旅行しているという。旅の目的がはっきりしている。クスコのひとつ手前のアグアス・カリエンテ(熱い水)という駅で降りた。文字通り素朴な温泉がある。夜になるとインディオ違がお湯につかりに石段をのぼってやってくる。久しぶりにお湯につかると温まる。彼もヒッピーの旅行者達も温泉気分、インディオもみんな一緒。つまり、混浴。インカの時代もこうして湯につかって月を見ていたに違いない。
 翌日クスコ着。


街を歩く。石畳と土塀の家並み。西欧文明を頑なに拒み続け、アンデスの厳しい高地を離れないインカの末裔達。道端ではケーナ(あし笛)をナイフで削りながら売っていた。吹いてもらうと、「エル・コンドル・パッサ」だ。サイモンとガーファンクルよりもいい。ひとつ買った、うまく咲けない。クスコの少し先にマチュピチュの遺跡がある。そこへ行く途中、若いアメリカ人の旅行者に缶に入ったオイル漬けのサソリを見せられた。
「こいつにやられて高熱と下痢が一週間続いたよ。」
遺跡での野宿はさすがに怖かった。寝袋は、クスコのメルカド(市場)でインディオのおばちゃんに頼んで、毛布をふたつ折りにして縫ってもらった素朴なやつだ。旅なれたカメラマンは上等なシュラフを持っている。
「砂漠じゃないから大丈夫、ものを喰ったら、遠くに投げると、サソリはやってこない。」だと。ナランハ(オレンジ、一個、約10円。水分はこれで摂っていた)を噛っては遠くへ投げた。野宿は星降る夜が最高だ。南十字星が見える。
「サソリ座も見えるよ」だと。
何だかちかちかする。悪い冗談は止めてもらいたい。
 クスコから懐かしいりマに戻った。ペンションの家族と抱きあって再会を喜ぶ。リマを離れて3か月が過ぎていた。しばらく骨休みだ。カメラマンの彼には、まだガラパゴス諸島の動物を撮る仕事が残っている。
「進化論の島か。行ってもいいな。」
「行こうぜ。」
話が決まった。今度はリマから北へ向かった。アンデスの乾いた空気が次第にアマゾンのジャングルのむっとする湿気に変わっていく。ここに住むインディオはアンデスとはまるで違う。山の民と川の民の違いだ。身につけるものも少ない。もうポンチョは要らなくなった。エクアドルに入ると、すぐにガラパゴス諸島に飛んだ。プロペラ機で一時間位かかる赤道直下の島だ。赤道にしてはすごし易い。村までは車、ダーウィンに『種の起源』を書かせた島。入江で一服していると、鶴のような長い脚の鳥がフワリと横にとまった。しきりとクチバシで挨拶をする。ヒトというものを知らないみたいだ。今度はペリカンが寄ってきた。野生の烏がこれでいいのか。翌日、漁船のキャプテンと話をつけて無人島巡りをすることになった。母船から小さなボートで上陸すると、小烏が足元に寄ってくる。ナランハをやるとしきりにつっついた。人なつっこい野生の鳥というのがどうも納得できない。海岸に腰を降ろすと、真っ黒な岩が拡がって見えた。岩ではなかった。海イグアナの大群がへばりついていたのだ。小さな恐竜みたいだ。全然、逃げない。丘へ上がった。海鳥が何種類もいる。彼はしきりにシャッターを押し続けている。邪間をしないで、辺りを歩いていると、突然鷹のような鳥が急降下して襲いかかってきた。二羽だ。攻撃をかわしながら、野原を逃げ回った。真正面から一羽が向かってくる。よけた。その瞬間、後頭部に一撃。地面に這いつくばり、身を伏せた。コンビネーションがいい、奴等はきっと夫婦だ。コロリとあお向けになると、上空に二羽が舞っている。奴らに勝手にガラパゴスイーグルと命名した。
「もうテリトリーは侵さない、休戦しよう。」
「何してんの?寝ころんで。」
彼がやってきた。
「奴等の反応の方が正しい。共存するには、人間はもっと進化する必要がある。」
「何いってんの?次の島に行くよ。」
次の島で丘にのぼって見下ろしたら、ピンクの大きな池が見えた。
「ピンクフラミンゴの大群だ。」
呆然となった。それ程の大群だったのだ。天女が大勢で楽園に舞い降りて、水浴びしているみたいだ。ボートで母船に戻る途中、一羽の小さなペンギンが泳いで寄ってきた。
「赤道直下にペンギンがいるぞ。」
目を疑った。
「ガラパゴス・ペンギンだ、かわいいな。」予習している彼は平然とシャッターを押す。愛想のいいペンギン。ダーウィン研究所の庭にガラパゴスがいる。島の名になっているでかいゾウガメだ。乗ってみると、悠々としている。まるで浦島太郎だ。そろそろ帰ろうかな。そしてガラパゴスも後にした。その後、メキシコシティーで彼と別れて、ユカタン半島を回った。


カリフ海で泳ぎ、マヤの遺跡を巡ってメキシコからバンクーバー経由で日本に帰った。
 こうして半年間の中南米の旅は、あっけなく終わり、何の変哲もなく今にいたっている。
  22才の時に大陸に抱かれて、僕はこんな旅をした。

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